SSS9




縄張り

警戒しているくせに触らせるのが好意表現なんて、まるでどこぞの野良猫のようだ。

あいつは、あっけないほどにすぐに俺になついた。

年下の、それもいわくつきの経歴の部下を初めて持つ身だった俺は、当時はらしくもなくそれなりに緊張などしたものだ。

不遜な顔つき。

痩せた体に目だけがぎらぎらしていれば、正直あまり印象はよくない。

だが、俺の前にちらつかせる傷口。肉の色。

そう、いつからか、あいつは意図的に治療を怠るようになった。

「ダメでしょー。テンゾウ。出血多量で、倒れる、よ」

「っ…く」

ぎゅ、と縛られた傷口に連動して、息を止めた唇が次の瞬間には痛みから解放され弛緩して息をこぼす。

蒼白になっている額に手を伸ばし、血塗れた前髪に触れてもテンゾウは動かない。

「他に痛いところは?」

「……」

「ん?」

俺に触れてほしいこの年下の男は、腕の傷をなめられても微動だにしない。

至近距離で見つめても目を逸らしもしない。

照れなんて微塵も感じさせない、仏頂面。

まったく。

かわいいじゃないの。

無防備に己をさらすなんて真似は絶対にしないくせに、かまってほしいオーラびんびんの後輩の傷口を、俺はなめ、そして縫い付けた。

そして、冷たい雨の降る野営地で。

震える黒い猫を抱き上げ、俺はその痩せた体に滴る水を手の平でぬぐった。

「お前、偵察にこんなかわいい格好で行って来たの」

見つかったら捕まっちゃうでしょ。

目だけがぎらぎらと大きい黒猫は、雨水をぬぐってやってる俺に甘えるどころか反抗的な態度で嫌そうな声を出した。

「馬鹿だねえ。腕力で俺に敵うとでも思ってんの」

ひげをつついて少しからかってやってから、ちょいと思いついてキスをしてやる。

どうだ。

男にちゅーされるなんて、初めてだろう。

ふいに背後から声がかかった。

「……先輩、何ですか。そのいかにもみすぼらしい猫」

「んん? あれ?」

雨に濡れて寒々しい姿のテンゾウの目は、仔猫相手に大人気なくも随分とまた尖っていた。

交戦もなかったのだから当たり前だが、無傷で帰って来たテンゾウは所在無さげに立ち尽くして、俺の手の中の猫を睨んだ。

あらあら。

俺は人違いだった猫を放してやり、テンゾウに向かって手を広げた。

無傷でも、もちろん抱いてやるよ。

「おかえり。俺の猫ちゃん」




* * * * *



先輩は銀色。

赤いうちはの異物を、大切に中心に抱く人。

僕は黒くて。

そう作り変えられたことに痛みと恐怖を感じた過去はあっても、それは過ぎたことだと思っていたのに。

なのに。

初めて触れたその人の肌に、その視線の先に、気が、狂うかと思った。

「テンゾウ。髪染めたの」

それでもあなたは、僕に抱かれてくれますか、と。

問いかけたら、多分慈愛を偽ることに長けた瞳が、きゅうと細くなって笑われる気がする。

あなたの本当の気持ちなんて、欠片も表には出ないまま。

茶色くなった僕の髪をもてあそんで。

「じゃあ、俺も、テンゾウの色に染めてみようかな、この髪」

どこかうっとりとした声音で微笑むあなたを。

本当は問い詰めたかった。

凶器に似た感情で。

あなたの瞳に映る僕の色は、今は初代様の細胞に塗り替えられた、うちはと同じ色。




* * * * *



二重任務

突き立てた刃に力を込め、その体に抉り埋める。

苦痛に歪むはずの表情が、瞬間嗤ったのを見て、僕はその体から素早く離れた。

課せられた任務は、暗殺。

心の臓を一突きにされ絶命したのは、人望とまわりすぎる頭を持ち、そして暗愚な身内から保身を怠ったはずの、男。

「後味が、悪いなあ……」

事態の全容は知らされずとも、里がこの件に関して任務料を二重取り、いや将来的に少なくとも三重取りすることは、「男」の薄ら笑いを見た瞬間に理解した。

この手で殺した人は。

なんと僕よりも先に帰り着いた里で、飄々と徳利を傾けていた。

……散らかした僕の部屋の中で。

「死体役はちゃんとこなしたんですか。先輩」

「んー。ちゃーんと幻術行使して働いたーよ俺。完璧よ?」

へらり、と端正な顔が笑う。

あー。きもちいー。と床に転がって頬をすりつけながら視線だけを僕にあてるその態度。行儀の悪さ。

「痛かったですか?」

先輩に近づいて膝をつき、彼の胸のあわせから手を差し入れてあるはずの無い傷痕をさぐれば、酔いにかこつけて艶やかさを増した瞳が性悪に細められた。

「それはもう、ね」

指が、先輩の体をまさぐる僕の手に絡み付いてくる。

「感じちゃった。影分身解いた瞬間に」

開かれたからだが、僕を誘う。

酒の香りのする唇にくちづけて。

「先輩の悪趣味」

意図せずしてそれが子供っぽい尖った声になって、自分でも軽く驚く。

そして誘いをかけていた先輩の瞳も意外さに瞬いて。

「ごめーんね」

でもすぐに甘く微笑んだ先輩は、とろとろに潤んだ瞳と肌とで僕を惑わしにかかり。

無論僕は、その酔いに、のった。




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