SSS12




寂寥

「振られた」

忙しなく見えないよう気をつけながら徳利を傾け誘った理由を簡潔に告げたら、律儀な後輩は一瞬驚き顔を曇らせた。

そして、はは、と演技のような渇いた笑い声を漏らし、

「僕が女だったら、先輩の足に縋り付いてでも別れないのに」

冗談に紛らわせ切れない視線を俺からそらした。

寂しい声だった。

気づいている。

俺も寂しくて、お前も寂しい。

――どうしよう。

治療室の前。あの時、彼女はこの世でただ一人きりだった。俺のすぐ隣で俺の答えなど求めていない、孤独の中でつぶやかれた声を思い出し噛み締める。

混乱と涙で呼吸困難に陥りながらくのいちの名を繰り返し呼ぶ、痛ましいその細い肩を慰めようと抱いたら、何を否定したかったのか彼女は頭をふって俺の手を拒絶した。

ああ、と今まで見過ごしてきた些細な現象がひとつの結論を導き出した時、彼女に対して何も与えてやれない俺はただ俯いた。

俺も彼女と同じ。

理由は違うが、告げるつもりがないのは、同じ。

気づいてみれば単純な話だったのに、どこまででもテンゾウを試す己の声を、俺はどこか遠くで聞く。

「女のお前を想像したら恐いよ。何か背筋がぞくぞくする」

「酷いなぁ。『お前はかわいい後輩だよ』なんてこき使ったりするくせに。あれはやっぱり嘘ですか」

「違う意味でかわいいじゃないのお前は」

「どういう意味ですか、それって」

憤慨したように振舞う態度の奥底の、微妙に揺れているテンゾウの慎重さが心地いい。俺達の関係の変化を探りつつも、崩すまいと気を配るその臆病さが。

俺も俺だ。逃げの姿勢で安全圏を確保しておきながら、なのにその正反対の熱情を引き出したいとどこかで焦れている。

この秘めた獰猛さが果たしてこの後輩に貪られたい願望なのだとしたら、なんと自分は自虐的な男なことか。

はぁ、と勝手に観念したテンゾウがため息をつく。

「僕は、先輩の『猫』だからなぁ…。あ、犬のが先輩はお好みですか」


 .

犬のが先輩は興奮しますか。


 .

なんて、逃げを許さない目つきで追い詰めてくれたらいいのに。

それでは優しい冗談に笑うしかない。一番欲しいものに手を伸ばしてはいけないと、戒める過去を自分から放棄することができない。

あの後、一命を取り留めた想い人に、それでも彼女はその想いを生涯告げることはないと寂しく微笑んだ。

そして、俺への友愛も、生涯変わることはないと。

「友愛。友愛か」

「先輩?」

「俺も、お前への友愛は、生涯変わることはないよ」

「…やめてください」

反射的に硬い声を出したテンゾウは、その不自然に強硬な態度を後悔したのか「どうしたんですか。変ですよ先輩」と女に振られたばかりの俺に愚かな問いを重ねた。

そう、嘘だ。

嘘だよ。

そんなことを言うのなら、俺にだってテンゾウがいるじゃないか。

彼女の、ではなく、俺の真実を暴き出されたことに打ちのめされながら。

あの時。

実は咄嗟に、そう思った。




* * * * *



天の川が架かる夜に

「お前、笹の葉出せる?」

なんてふざけたことを真顔で言う先輩の手には一枚の紙切れ。

寝入りばなを起こされてのこの一言に僕は若干困惑していた。

玄関先にたたずむ先輩から微かに漂う匂いは、とてもいい匂いで。特別に鼻が利くわけでもない僕でも、先輩の僅かな様子からいろいろと想像をめぐらせてしまう。

女に酌をさせて紅い部屋で朝まで睦み合い酒を呑み続ければいいものを、何を思ってこの人は短冊片手に数度バディを組んだだけの僕を訪ねて来たのだろう。

「いいえ」

笹の葉は出せません。

味気ない事実を答えると、確たる根拠はないものの表情の変わらない先輩がムッとしたような気がした。

「だったら壁にでも貼っておけ」

押し付けられた短冊に目を落とした瞬間には先輩の姿は消えていた。


 .

テンゾウが若くして死にませんように はたけカカシ


 .

「何だ、これ」

あまりに意外な内容に、思わず声が出てしまっていた。

だって、見ようによっては、あんまりといえばあんまりな内容だ。

僕は先輩にこんな短冊を書かせるほどに危なっかしくて、そしてそれほど頼りないというのだろうか。

寝台から笹に見立てたひょろひょろのツタを生やして短冊を飾ると、窓から入る風で時々そよりと揺れた。

僕はそれを書いた先輩の姿を何となく想像しながら、寝るまでそれを眺め続けた。




* * * * *



またあした

後輩として、そして仲間としてなら惜しみなく慈愛を注いでくれるあの人は、僕が少しだけその域から踏み込むだけで、さりげなく距離をとってすげなくかわす。

高潔で静かな横顔を邪な視線で犯している。そんな己を、僕は密かに呪い、蔑んだ。

だから、我慢がならなかった。

自分の代わりに、僕に女をあてがえばいいと短絡的に考え、彼女を唆した先輩が。

「どういうつもりですか」

彼女に近づき、僕の話ばかりをし、巧妙に『恋』と錯覚させるだけの工作をした先輩は、静かな姿勢を崩さなかった。

いつもと何も変わらない瞳で、怒りを押し殺している僕を無感動に見つめる。

演習場の片隅に設置されたシャワー室の脇で、暗部の男がふたりきり。

夜も更けたこの時間に、獣の遠吠えや虫の声以外、立ち入る人の影はない。

問い詰めたら、暫くの沈黙の後に、「お前が、寂しそうだったから」とその唇が言い訳にもならない戯言をつむいだ。

苦い、苦い言葉をのどから搾り出す。

「余計な、お世話ですよ」

それは衝動的で、そして自虐的でさえあった。

「先輩のことが好きでした」

告白する己の声は、僕が自分で思っていたよりもせつなくて遠くて。

自分の価値を過信していたわけじゃない。ただ、少しでも動揺する先輩を見たかっただけだ。

「でももう、目の前から消えてくれたらいいと、そう思います」

終わったと思った。

自分が取り返しのつかないことを言っているとも。

でも。

先輩には何の変化もなかった。

ただ、「そう」とでも言いたげな瞳が、ほんの少しだけ色を濃くしただけで。

これ以上何が言えるだろう。僕が立ち去ろうときびすを返した時、静寂を引き裂いて小さな呟きが波紋を投げかけた。

「どうしたら許してくれるの」

振り返る前に、先輩は口布を下ろし。

「しようか」

と、やはり感情の読めない声で、そう誘った。

痛いでしょう。

そう労わる声をかけるのは、何か違うような気がした。

やめましょうか。

男の生理を押し殺してそう提案するのは、酷く滑稽な気がした。

僕を誘った先輩のからだは明らかに男には慣れてなく、その事実に一喜一憂する僕の気持ちを踏みにじるように、先輩の瞳は夜の月をただ見つめ続けた。

拒否されているわけじゃない。

嫌われているわけじゃない。

……きっと。

でも、こんなんでからだが気持ちがいいわけがない。

僕から一方的に求めるだけで、先輩はただ受け入れるだけ。

不平を言わず、時折目を閉じるだけ。

僕は先輩の眉が苦痛に顰められないよう祈りながら、先輩の唇が僕の名前に動くことを期待しながら、彼の心のように頑なで乱暴にすると逃げてしまいそうな秘所を、探り、穿ち。

全てを僕の思い通りにしたのに、なのに思い通りに全てをくれない先輩に対する絶望感に塗りつぶされながら、動いて、唐突に泣きたくなった声を誤魔化して、うめいた。

全身ですがりつく僕を、先輩がどう思ったのかは知らない。

呼吸を整え、それでも先輩を手放さそうとしない腕の中から、するりと抜け出して乱れただけの着衣をすっと整えた。

ため息なのか、ただ息をついただけなのか。

小さく息を吐いた先輩は、

「……じゃあね。またね、テンゾウ」

と、少しだけ首をかしげて言い、音もなく消えた。

夢だったのか現実だったのか。

僕は、まくれ上がっていたアンダーの裾を直しながら、先輩の口調を真似して、繰り返した。

「じゃあね。またね、テンゾウ」




* * * * *



*おまけ*

先輩後輩の関係(会話文)

「あの……。あんまりくっつかないでください先輩」

「なんで」

「っていうか、わざとですよね」

「なにが」

「襲いますよ」

「どーぞ」

「本気にしてくださいよ」

「うん」

「好きなんです」

「うん」

「知らなかったでしょ」

「知ってたよ」

「知ってて挑発するって、どんだけ酷い人ですかアナタは!」

「……そう?」

「責任とってくださいよ」

「うーん」

ちゅ。

「……! 先輩っ!」

がばちょ。

「それはダメ」

「じゃ、どんなんならいいんですか(真剣)」

堂々巡り




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