SSS11




近寄るな

一歩。

また一歩。

彼に近づくたびに、血のしたたりが僕の足元を濡らす。

僕の目を奪う銀髪の主は、いつでも仲間から少し離れた場所でその細い体を休めていた。

その高尚な精神と芸術的価値のある肢体は誰からも彼を近寄り難くさせ。

弛緩した時間に訪れる束の間の談笑に加わらない冷めた瞳が、僕の姿を認める時だけニィィと細くなる。


 .

おかえり。テンゾウ。


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彼は、カカシ先輩は、言葉ではなく、そう、誘うのだ。

瞳で。

背筋が凍り、僕は引きずられそうになる魂を、必死で自分の領域に縛り付ける。

何の関係もないのに脳裏を駆け巡る過去の記憶。

感情。

痛み。

衝動。

おいでと誘う。

カカシ先輩の視線が僕を。

ひとつ。

またひとつ。

累々と重なっていく屍の上を進めば、たどり着く先には彼の姿。


 .

だって、仲間……デショ。テンゾウ。


 .

他の人へ向けられる内容とはどこかが決定的に違う、言葉。

声。

微笑。

粘着。

「お前は俺と」


 .

同じものに。


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僕は、悲鳴を呑み込んで、拒絶の言葉を吐いた。

「絶対に、ならない」




* * * * *



形代

注意*内容にテンゾウ×女を含みます


 .

髪と瞳の色が、そして身体的特徴が、その人の子供と僕はとても似ていたらしい。

でもその頃の僕は無条件で保護してくれる手と家を必要としていて、彼も僕を必要としていた。

共に過ごせた時間はほんの数ヶ月だった。

不幸中の幸いと言おうか。任務地が近かったことは運がよかった。

駆けつけた簡易テントの中で、いまわの際の彼の視線は僕の姿を通り越して微笑んだ。

もう今にも訪れかけている喪失の予感が、ひやりとした拒絶の痛みに塗り変わる。

僕は、その時僕の背後に、彼の子供が立っているんだと思って動けなかった。

彼の唇が動く。

目で、微かな呼気を伴ったその音声を拾う。

その名前は、きっと一生忘れることが出来ない。

ただ、僕を縛る呪詛のように感じたその音声は、今は大事な名前に変わった。

あの頃の僕は、まだ幼かった。自分の取り分しか頭にない子供だった。

大切な人の大切なものにはやっぱり勝てない。慰霊碑の前に立ちながら思う。




* * * * *



拷問こそ受けなかったものの、身に覚えのない嫌疑をかけられ、そこで聞いた数々の事実は僕を心底打ちのめし、不甲斐なくさせた。

ようやく解放され、猫面を片手に任務帰りそのままの汚れた出で立ちで白い廊下を歩く。

面会謝絶の札がかかった病室の扉を機械的に開くと、僕を呼び出したその部屋の主が微かに呻きながら身を起こした。

カーテンの引かれた暗い室内で、銀色の髪がどこか感覚の鈍くなった視界に入ってくる。

黙っている僕に、相手は何かを言いかけ、弱ったような微笑を浮かべた。

重く居心地の悪い空気が流れるが、僕にはそれをとりなす気力がなかった。

三度目だった。

暗部の第七分隊長はたけカカシと面と向かって顔を合わせるのは。

「お呼びでしょうか」

辛うじて自分の喉から出たまっとうな台詞を、どこか意識の遠くの方で聞く。

寝台の上で座っているのも辛そうな先輩が、無言で布に包まれた何かを差し出してきた。

不審に思いながらも近づいて受け取り包みを開き、中から出てきた黒髪を見て思考が止まった。

「これだけしか俺の自由にはならなかった」

先輩の声が小さく聞こえる。

「すまない」

瞬間的な感情の爆発に支配された僕は、衝動的に先輩の胸倉をつかみあげた。

彼女の遺髪が床に散らばる。

過去に敵忍に囲まれた時に僕の目の前で鮮やかな雷切りを放った人は、別人のように容易く僕の暴力に体をぐらつかせ、うな垂れた。

「あの時、あなたは『俺の仲間は殺させやしない』と言ったのに」

「……」

「彼女は、その『仲間』じゃなかったですか」

はたけカカシは僕と目を合わせようとはしなかった。

最後に彼女と会話した時に触れた、白い肌が脳裏にちらつく。

『上忍師に推薦されたの』

あの時に、僕は彼女の真意を測れなかった。

同罪だ。彼女の遺志と無念を闇に葬ろうと、ただそれだけを目的に動く組織の犬達と。

でも。

はたけカカシは。

まさにその瞬間に居合わせた彼は。

彼だけは違うと思っていた。

なのに、彼も。彼女は『仲間』じゃなくなったから、見殺しにしたというのか。

動いたはずみで猫面がカツンと床に落ち、間抜けな音を立てながら転がった後に無機質な目の穴を天井に向けて止まった。

『テンゾウのことを愛しいと思ってる。だから、私以外の女に慰められるのは、妬けるわ』

僕の前に猫面を被っていた人間の身代わりだと知ったからといって、僕と彼女のすべてが否定されるわけじゃない。

「……どこを、やられたんですか」

至近距離で睨みつけると、はたけカカシの顔が緊張した。

「やめろ」

しなやかな肉体をぴっちりと包むアンダー越しに手を這わせると、幾重にも巻かれた包帯の感触がどこまでも続いた。

思うように動けないはたけカカシの抵抗する腕をつかみ、寝台に縫い止め、逃げる背中からアンダーを捲り上げて包帯を毟り取った。

「見るな!」

悔しげに呻き鋭い視線を向けてくる人を罰するように縛める。

ああ。わかっている。

これは八つ当たりだ。

はたけカカシは、彼は、神様ではない。

背中が露わになるにつれて、抵抗は激しくなった。

銀の髪が乱れるのを見て、嗤う。

この人を、彼女との情事の最中に思い出したことがある。

はたけカカシの背中には、『裏切り者』が背後から斬りかかった証がまだ癒えぬままにそこにあった。

「――……」

彼女の名前を呟くと、僕の体に下にいるはたけカカシの抵抗が止んだ。

観念したともとれるような仕草で、うつ伏せたままぎゅうとシーツを拳でつかんだ。

彼女のつけたその背中の傷に、既にこの世に存在しない彼女が生きていたその証に、最後の接吻をする。

はたけカカシは動かない。

突如として怒りとも虚しさとも言えない激しい感情に突き動かされ、僕は彼の体から離れた。

「乱暴なことをして、すみませんでした」

答えない男を振り返ることなく、僕は病室を飛び出した。

脳裏に慰霊碑が、何の関係もないはずの過去の出来事がよみがえる。

僕は声もなくその場に蹲った。慟哭の仕方なんてわからない。

今はどんな言葉も慰めも欲しくなかった。




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