――最愛の人は、自分が死ぬのを待っている。
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気配を溶け込ませてくれる木の上で、テンゾウはじっとその光景を見つめていた。
鼻の上に傷のある、髪を頭のてっぺんで固く結んだアカデミー教師。
その、人を和ませる雰囲気を持つ男が、カカシに特別な顔で微笑むたびに、テンゾウの心は穏やかにざわめいた。
『イルカ先生が』
恋人であるカカシの口から初めてその名前が出た時は、それはその他大勢のそれと同じぐらいに思って、大して気にも留めなかった。
元暗部の精鋭が、気を抑えて里に溶け込むのはやはり、時間がかかる。
上忍師としての生活に馴染む努力をしているカカシ。
その一環として、同僚の上忍たちと呑んだり部下の元担任と親しくなるのは、当然の成り行きだと思っていた。
だが、いつからか。
密やかにその名がカカシの口からあまり出なくなった頃、テンゾウは異変に気がついた。
カカシを疑っているわけではない。しかし同性の友人は異性のそれとは違って、境界線が実に・・・曖昧だ。
そして今日も、二人は友人というにはよそよそしく、知り合いというには少々近い位置で杯を交わし、他愛もない会話を続けていた。
しかしある瞬間に何かを感じたのか、常に穏やかなカカシが、いつになく口数を多くする。
梯子をしましょうか、どうしましょうか、というカカシの言葉を遮って、イルカが言った。
「あなたが好きです。以前から、もうずっと・・・。気づいていたとは思いますが」
真っ直ぐとカカシを見つめる瞳は、拒絶される恐れを全く抱いていないように見えた。
ふたりにしかわからない視線のやり取りや呼吸等で、相手の気持ちが薄々わかっていたのに違いない。
既に口布を下ろしていたカカシは、するりと額宛をとって、目を伏せた。
「俺も、アナタが好きです」
心が通じ合ったはずなのに動かないふたりを、テンゾウは木の上で無表情に見守っていた。
「・・・・・・でも、つきあっているやつがいます」
イルカを近づけさせない雰囲気を保ったまま、カカシは淡々と、抑揚のない声で話し始めた。
「そいつと初めて会った瞬間も、アナタを見た時と同じような、嫌な・・・感じがしました。あいつは強いから、そう簡単には死なない気がしていたのに。受け入れてしまったのは、俺もあいつが好きだったから・・・・・・」
あいつ、と唇が動くたびに、カカシの表情はやややわらかくなった。
だから、つきあえません。と、動けないイルカの前で、カカシが言う。
「そいつが死なない限りは」
テンゾウにとっては予想通りのカカシの返答。
だが、死という言葉に、イルカはひどく驚いていた。この状況が忌々しいことには変わりないが、その驚く顔を見て、少しだけ、ほんの少しだけ、テンゾウは溜飲が下がった気がした。
好きだと告白したイルカに、自分も好きだと返したカカシ。
後から来て、イルカはテンゾウと同じ位置に並んだと思っているだろうが、全然違う。
カカシの言う「死なない限りは」という意味など、彼はきっと理解できないだろう。
イルカはカカシのことを何一つ知らないから、そんなことで心底驚く。
カカシを手に入れるためには、「そいつ」を殺さなければいけない。もしくはカカシがそれをけしかけている。深読みして、そう誤解することもあるかもしれない。
そう、暗部でのカカシの振る舞いを見ていないと、きっとわからないだろう。
かつてカカシは命の細そうな忍びとしかつきあわなかった。
寄り添う時間が短いがために、裏切りも心変わりも何もない、お互いを好きだという気持ちだけの完璧な世界。
これほど長くカカシの横に並んでいるのは、恐らくテンゾウが初めてのことだ。
自分が死なない限りは、「二度目」に現れたイルカにカカシを得る機会はやってこない。
長い沈黙が流れた後、イルカが静かに確認した。
「その人のことは・・・」
「愛しています」
イルカの問いに少しも間をおかない明確な答え。
死ぬまで。
そう、死ぬまで。
カカシには、決して心変わりはない。
終始無表情で聞いていたテンゾウが、見る者もいない闇の中で初めて、ほんの僅かに口の端を上げて笑った。
【終】