「つっこんでくれるなら、誰でもいいんですね」
黒い瞳に浮かんだ激しい感情は、すぐに穏やかな光に塗りつぶされて消えた。
カカシを傷つけようと意図して吐き出された言葉は、他の誰でもなくその言葉を吐いた本人をこそ傷つけて、そして無駄に繰り返された。
「あなたの中を埋めてくれる存在なら、誰でもいいんですね。カカシさん」
誰でも。
自分以外の誰でも。
皮肉に歪められた笑みと鋭い瞳。だがほんの束の間現れたそれは、穏やかな容貌の中に音もなく消える。
邪気のない表情で笑うその顔は、カカシの惚れたイルカの笑顔とどこか似ていた。
「『イルカ先生』・・・彼はそんなにいいですか」
「・・・・・・」
「確かに彼は、優しそうだし、体力はありそうだ」
過去にこの男に抱かれていた自分が、単に組み敷かれる男を変えただけだと。勘違いしている男は、嫉妬心を抑えきれずにカカシをなじった。
「んー。誰でもいいとか、そんなんじゃなーいよ」
イルカには死ぬほど惚れているし、体も含めてこれ以上ないぐらいに骨抜きにされている。
それでは過去にこの男と寝ていたことは何だったのかとなじられても、今現在のカカシの感情とは別の場所の話だ。イルカにもテンゾウにも、そのどちらに与えた感情にも交わりあう種類のものはない。
抱くのと抱かれるのと、求めるのと求められるのと。
だが。
それは。
「うん。ナルトの修行を見る関係でね。ヤマトと三人でしばらく野宿だから」
そう告げて別れた時、カカシはイルカを抱きしめた。
「しばらく会えないかもしれないけど、拗ねないでね」
「そんなことで、拗ねませんよ」
「それから、浮気もしないでね」
「しませんってば」
くすくすと笑ったイルカ。
愛されていると確信している余裕が、カカシに対する態度に出ているのか、彼が取り乱す姿を見たことが、ない。
「俺、暗部抜けるよ。里から上忍師に就くよう要請があった」
カカシ先輩。
カカシさん。
先輩。
突き動かされるように、時に乱暴にカカシを抱く後輩は、無表情を保ったままその言葉を聞いた。
これで任務後に抱かれるのも、恋人の真似事をするのも終わり。
カカシも、そして恐らくテンゾウのほうも、容易に会える環境になければ、この関係が終わることを確信していた。
約束も未来も何も。何の保証もない肉欲のみの関係。
黙っていなくなることも可能だった。なのにわざわざ関係の終わりをテンゾウに告げたことは、今から思えば・・・多分・・・。
テンゾウは何も言わなかった。
行くなとも。好きだとも。会いに行くとも。何も。
だが不自然に沈黙を守るその態度が、彼の動揺を物語っていた。
微動だにしない情人を前に、カカシは問いかけた。
「平気か?」
「・・・・・・平気です」
これで数年は会えない。
お互い死線を潜り抜けるような任務に就く身の上だから、もしかしたら、一生。
「平気です」
声は穏やかだったが。
抱擁がその言葉を裏切っていた。
それに気がついたところで、その時のカカシは彼の背中を抱きしめ返すことしかしなかったけれど。
「誰でもいいんですね」
あなたの中を埋めてくれる存在なら、誰でもいいんですね。
僕以外の、誰でも。
今は、あの黒髪の中忍が、アナタの心の穴を埋めているんだ。
「この里に、心の穴を持たない人間なんて、いないよ。ヤマト」
現在のコードネームで呼ばれたヤマトは黙り込んだ。
黙り込んで、そして。
「そうですね。先輩」
寂しげに微笑んだ。
【終】