収束の日




時の理と命の連鎖から外れたこの心は、愛する人をさえ、今も傷つけ続けている。

「今更、よくものこのこ俺の前に顔を出せたものだね。テンゾウ」

「……任務で、呼び戻されたものですから」

自来也と綱手が出て行ったドアの方に視線をやり、淡々とテンゾウは事実を述べた。

対暁戦で万華鏡写輪眼を使いチャクラ切れになったカカシは、木ノ葉病院に収容されていた。カカシが上忍師になってから綺麗に途切れた逢瀬は、最後のその時から数えてみればもう三年以上の昔になるのか。

その間何の接触も持とうとしなかったテンゾウに対して、カカシの怒りは深い。

「かわいい人ですね」

花瓶に生けられた花に目を向けて言うと、にわかにカカシの気配が緊張した。

綱手に連れられてこの部屋に入った時に、そっと席を外したくノ一の可憐な容貌をテンゾウは思い浮かべる。

「あなたの言うことを、よく聞くんでしょうね」

「……」

「優しそうな人でしたね。さすがに寂しがり屋の先輩が選んだだけのことはある」

「…テンゾウ。何が言いたい」

碌に動けない体で、テンゾウを射抜く瞳だけは驚くほどに鋭い。

「いえ、意外に思っただけです。あれだけ男相手に喘いでいたあなたが、女の恋人を作るなんて。…でも、そうじゃなかったらボクがあなたから離れた意味がなくなりますけどね」

カカシの顔がさっと青褪めた。

その隙にベットに乗り上げカカシを押し倒すと、くちづけを邪魔する無粋な口布を無理矢理に引きずり下ろした。

抵抗する腕を押さえつけて、瞳を合わせながら唇を貪る。しかし激昂したカカシに噛み付かれる前に、体を離す。

「なっ、何するのテンゾ…っ!」

「先輩がどんな体を味わったのか、興味あるな…」

ドアの向こうを気にしているカカシを押さえ付けたまま、瞳を伏せてそう言うと、その体がビクリと震えた。

つい先ほどまでの、『不実』な元恋人に向けていた強硬な態度は見事に瓦解していた。震える唇が、全くもって彼の持つ戦歴には相応しくない。

「な、何言ってんの。お前」

「もちろん、ちゃんと『お願い』しますよ。無理矢理じゃなく」

静かにそう言うと、本当に実行しかねないと思ったのだろうか。

「だ…ダメだ。テンゾウ…」

嗜虐心を煽るような声と顔で、必死に腕をつかんできた。

いかにチャクラ切れの身ではあるといっても、木ノ葉の里の上忍「はたけカカシ」は暴力や卑劣な策を前に怯むような人ではない。

ひとつの理由を別にすれば、毅然としているはずの男を無表情のまま見下ろす。

そう、ボクが彼女と関係するのが嫌ならば。

「じゃあ、代わりに先輩がボクの下で喘いでよ」

カカシの代わりなどこの世に存在しないくせに、未だドアの向こうの女に気を取られていることへの意地悪でそう言うと、案の定カカシは言葉を失った。しかし放心し続けることを許さず、カカシの頬に手を当てて、返事を促す。

「どうするんですか」

返って来る答えはもうわかっている。そしてこれも予想通りに、カカシは往生際悪く首を横に振った。

「先輩?」

ぎり、と拘束した方の腕の力を強めると、カカシは顔を歪ませて横を向いた。

「で、でも、ここでは、嫌だ…」

「別に、聞かせてやればいいでしょう。その方がいろいろと手間が省ける」

「……」

絶望を映した瞳が目蓋の下に隠れ、諦めたような腕が、ぱたりとベットに沈んだ。




* * * * *



そう。今までで、一番カカシが幸せそうだったのはいつだっただろうか。

夜毎抱いて、抱き合って、望むままに繋がりあって体が馬鹿になっていた頃も、カカシのテンゾウに対する執着は激しかった。ただ、大切に大切に、壊れ物を扱うように口説いて花を贈って、子供が喜びそうな菓子を口に入れてやっていた頃は、無邪気で生意気で、こんな気弱な態度はテンゾウには見せなかった。

だから、こんな。

こんな。

「ボクがいなくても、あなたは平然と生きていると思った……」

声が洩れないよう、唇を噛みしめながら強姦に耐えるカカシにそう呟くと、閉じていた彼の両目蓋がうっすらと開き、そこから涙が滲んだ。

「……テンゾウ」

伸びてきた指を絡めて、せつない心のままにくちづけたら、微かに開いていた瞳が再び目蓋の下に隠れ、すうっと涙が零れた。

他国に轟くほどの名声を持つはたけカカシという忍びが、これほど脆い内面を持っているなど、誰も想像できないだろう。

三代目は、優しくて、とても残酷な人だったから。

表向きカカシに無理な要求は何ひとつしなかっただろう。

上忍師として里に呼び戻されたカカシは、自分の子供でもおかしくない歳の下忍を任され、里での己の立場というものを自覚させられて。停滞が罪だと思わされて。次代を継ぐ命を守り、育み、生み出すことが責務だと認識させられて。

もとより正常な命の流れからは外れている自分とは違って、忍びとして鼻の効くカカシは、里の意志を汲み取ること以外の事柄には酷く鈍感で幸せな頭をしていた。

彼は良くも悪くも、木ノ葉の忍びだ。

そこが、未だ闇から抜け出していない自分とは違った。

悠久の時を茂り生きる大樹の影響を受け、緩慢な精神を持つ自分とは違う。何年逢えなくても、例え一生逢うことがなくても、カカシを想い続ける自分とは、違う…。

「…テンゾウ……困った顔、してる…」

こちらの思考を窺って、悲しげな顔をするカカシにため息が洩れた。

里の意志に完全に沿うことはなく、妻を娶らず子も生していないカカシは、でも、そろそろ限界だろう。

「先輩。ごめんね」

万感の想いをこめたはずの言葉は、自分でも情けないぐらいに小さく頼りなく響いた。

幸せにしてくれない人に縋りつくカカシが、とても哀れで、愛しかった。しかし。

「も、このままがいい。このままずっと貫いていてテンゾウ」

そう言うカカシの声は、とてつもなく、甘かった。

しがみついてきた腕に眩暈を覚え、テンゾウはその衝撃を誤魔化すことなく、その肩を抱きしめて顔を埋めた。




【終】