いつか白く塗りつぶして
ちらちらと視界に入り始めた雪が、暗部コートの肩や腕にとまっては溶けた。
ツーマンセルを組んでいるテンゾウが、憂鬱そうな仕草で空を見上げる。
俺たちは無言で帰還の足を速めた。任務終了後まで、無駄に寒い思いをする必要はない。
森を抜け平地に出た時、そこは一面の銀世界だった。
数字にすればたった数センチ積もっただけだろうが、まだ誰にも踏み荒らされていない雪原は、束の間、目を白く灼いた。
俺もテンゾウも普段からそう饒舌な方ではないが、いつもにも増して会話がないのは、きっと、天から惜しみなく降り注ぐ雪のせいだ。
さくさくと音を立てて、すべてを白く塗りつぶしていく。
そう、ずっと黙ったままでいるテンゾウの瞳が、今でない過去を思い出して遠くなっているのを俺は見逃さなかった。
あの時、確かに雪が降っていた。
惨殺されたくのいちの血に濡れた長い黒髪は、優しくも残酷な雪によって隠され、存在をただの白い塊りに変えつつあった。
痛みの表情を堪えていたテンゾウは、今も雪が降る度に彼女を思い出しているのだろう。
あれは、本来テンゾウが請け負うはずの任務だった。
誰が悪いわけじゃない。ただ、運と巡り会わせが悪かっただけだ。そう割り切るには、結果が最悪なものになりすぎていたが、では、果たしてテンゾウは、降雪の音を聞いた時以外にも彼女を思い出しているだろうか、と。
木の葉では滅多に雪は積もらない。
まだ頬に幼さを残していたテンゾウが、里外で雪の降るのを見上げて、無邪気に喜んでいたのを思い出す。
言葉もないまま帰還を急ぐ俺たちの頭上からは、止む様子のない雪が絶え間なく降り注ぐ。
俺は、もしその瞬間が任務中に訪れるのならば、テンゾウの目の前で死にたいと、馬鹿げた事を何故か思った。
* * * * *
捕食
先輩を犯す夢を見た。
それもひどく生々しく。
一度だけじゃなく、何度も。
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「ここの食堂には、よく来るのよ、俺。焼き魚が絶品でねえ」
思ったより長引いた任務後。本当は食欲よりも睡眠を優先させたかった。他の同僚が相手ならば断っていただろうが、最近またバディを組むことが増えたカカシ先輩相手にそうもいかず、僕は仕方なくその背中について暖簾をくぐった。
憂鬱だった。自然と暗くなる表情を繕わなければならないかと考えるほどに。
何より、カカシ先輩と二人っきりというのがまずい。
半ば強制的に連れ込まれた座敷の隅で、お品書きを取ろうとした先輩が体を寄せてきた。
近づきすぎるその距離は、今の僕にとっては毒だ。
動揺を隠し、繊細な銀の睫毛やアンダー越しにも窪んで見える鎖骨を目に焼き付ける前に身を引いたら、「ん?」とでも言いたげな先輩が至近距離からこちらを見た。
すぐに目を逸らしたいのに、それができない。
「注文はお任せします。先輩のお勧めで」
辛うじて動いた唇が、何とか当たり障りのない言葉を吐いていた。
そんな短い間にも、ひどく扇情的な先輩に欲を翻弄された記憶が、僕を苛む。
様子がおかしいと悟られないように微笑みながら、頭の中では目の前のこの人の痴態を思い出している。
夢だ。あれは夢だ。
なのに。
「どうしたの、お前」
僕の気も知らないで、やすやすと近づいてきて額に手を当てようとする先輩の手首を掴んで止める。
呼吸が乱れる。
これは、この挙動の不審はごまかし切れないだろう、と事態の深刻さに不似合いな冷静さで判断付けた。既に犯してしまった失態はともかくとして、収拾はできるだけ早い方がいい。
「すみません先輩。どうも、僕、早く休んだ方がいいみたいです」
もちろん横になったからといって、この悪夢から逃れられるとは限らないが。
僕は、ほとんど食べていない状態で席を立った。
同じく先輩がほとんど手をつけていないことには気がつかなかった。
中座する非礼への謝罪の意味も兼ねて僕が払うと告げると、先輩は嬉しそうに「そ?」と笑った気がする。もどかしい手で会計をし、笑顔を貼り付け、立ち去るための挨拶をしようと僕が口を開こうとしたその時、
「送ってあげるよ、テンゾウ」
一刻も早くこの人から離れたいのに、そんなことを言う。
「いえ、先輩もお疲れでしょう。結構ですから」
「いやいや。心配だから。俺の、かわいい後輩がさ」
「……」
思えば、これほどまでに余裕のない己を顧みて、不審に感じないのもおかしな話だった。
「ひとりで帰れますから」
固辞している僕を全く意に介さずに、先輩が笑う。
その笑いは、妙だった。
まるで僕の意志など最初から無視すると決めているかのような、奇妙な笑い方。
じわりじわりと侵食されているような、追い詰められているような感覚。
「意外とワガママだなぁ。テンゾウは」
のんびりとした口調が、言葉とは別の意味を持っている気がしてならなかった。
取り繕おうとする笑顔が引きつる。
僕は、これ以上先輩に近寄られないよう、神経を張り巡らせている自分に気がついた。
異常だった。どう考えても異常な雰囲気だ。
するり、とカカシ先輩の手が僕の頬をなでた。
逃げたいと、全身全霊で警戒していたはずの僕の懐に、何の挙動も見せずに入っていたカカシ先輩の腕が、やんわりと僕の腰にまわっていた。
背は、ほとんど変わらないか、カカシ先輩の方が若干高い。
腰に回った腕とは反対側の手で、頬に、耳に、そして僕の首筋に少し触れ、そっと肩に乗せた後に、先輩は微かなため息をついた。
よみがえる、数々の情事の記憶。鮮烈な夢だったはずなのに、今、腕の中に収まっている肌はもどかしいほどに遠い。
抗いがたい暴力のような感情で、僕はカカシ先輩の体をかき抱いた。
カカシ先輩の小さく喘ぐような声が耳元で漏れた時、気が狂うかと思うほどの激情が襲った。
「したいんですが」
そう言った瞬間、ぶるりと震えた先輩が、僕の背中に両手をまわしてきた。まるで愛と男を請うような仕草に、感情のすべてが凶暴に引きずり出される。
したい。抱きたい。
この人に僕を挿れて、僕のものだと錯覚できるほど、ぐちゃぐちゃに突き上げたい。
唐突な言葉のはずなのに、先輩は拒まなかった。
「いいよ」
掠れた声でうっとりとして言った。
いつもみたいに、お前の好きにして。
はっきり聞いたはずなのに、理性がその言葉と可能性を排除する。
抱擁だけでこれほどの性的興奮をおぼえたのは初めてだった。震えが来るほど気持ちのいい体を抱きしめ、僕の精神は先輩にひれ伏した。
銀色の鋭利な、里の至宝と呼ばれる、油断ならない忍びに。
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内容も文章も(自分なりに)初心に返る感じで久々に捕食系のカカシ。
* * * * *
テンカカが動物園で抱き合う、ギャグちっくな作品
「やっぱりここだったんですね、先輩」
背後からテンゾウの声が聞こえた時、俺はすぐには振り返らなかった。
向こうから折れてきたからといって、即座に許して飛びつくのはプライドが許さない。
目の前の動物を頑なに見つめながら、俺は檻と観客とを隔てているペンキの剥げかけた柵をぎゅっと握る。
きっかけは些細なことだった。
休暇を合わせてようやくふたりでやって来た、恋人達に話題のデートスポット火の国動物園。
カバの檻の前で、『あれは寝てるんだ』『寝てませんよ。気配でわからないんですか』『こいつ!』って喧嘩したのが30分前。
テンゾウの言い草には腹が立ったが、せっかくのデートで喧嘩別れをし、里までの結構長い道のりを一人で帰る馬鹿馬鹿しさを嘆かないでもなかった。
だから正直言うと、あいつが折れてくるのを待っていなかったというのは嘘になる。
俺は喧嘩して怒りに任せてあの場を離れたが、それからは同じ場所にずっと留まっていた。認めるのは癪だが、テンゾウが探しやすいように、この場を動かなかった。
「よくここがわかったね」
まだ柵を握ったままで、確信犯のくせにそうつぶやくと、
「僕は先輩の好みを把握してますから」
なんて殺し文句を吐くから、俺は感極まって振り返り、テンゾウとひしと抱き合ってしまった。
ウホウホとうるさいゴリラの檻の前で。
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どうでもいい設定として、先輩は動物が好きで、後輩は檻が好き。←動物園に行った訳