その瞬間、




暗部寮のシャワー室で髪を洗っていたカカシは、その後輩の気配を感じて顔をしかめた。

任務はいつだって命の危険に直結するような凄惨なもの。贅沢なんて許されない時代に、24時間湯を使える環境はありがたいが、これまた狭い場所に即戦力を押し込めて管理しているのも里の都合。これぐらいの特権は、あってもいいような気もする。

こんな男ばかりしかいないむさ苦しい寮のシャワー室で、几帳面にも腰にタオルを巻いて現れた後輩を無視して、カカシは髪をすすいだ。

こんなことならもう少し後で来るんだった。

無遠慮に見られていることに内心苛立ちながらも、関わりあいたくないので知らないふりをする。

人もまばらなのにわざわざカカシの隣に来た後輩は、いつものように鼻先で嗤って挑発的なセリフを吐いた。

「相変わらず細い腰ですね。そんなんで女抱けるんですか。先輩」

「…………」

ギロリと睨んでやってもよかったが、下手に反応して相手を喜ばすこともないだろうといつものごとく無言を貫く。

任務中は後輩として申し分なく忠実に働くこの暗い髪の色の男は、最近になって急に、こうして時々人の神経を逆なでするような言動をする。

理由はわからない。

死線を共にする仲間として大事に思うならば、腹を割って話し合う努力をすべきだろうが、人の好悪というものは理屈ではない。必ず通じ合うとは限らないのに、容易くほどけそうもない絡まった糸に取り組むのは、ひどく億劫な気分だった。

夜明けの来ないような連日の任務が、気分を欝にさせているのかもしれない。




* * * * *



だから、首を横に振るのでさえ、言うならば面倒だった。その億劫な気分の延長で、カカシは腕に暗部の別の隊のくのいちをぶら下げていた。

女というものは、どうして己以外の恋愛の成就でさえ、我が事のように画策するのが好きなのだろうか。

複数の女たちの手によってお膳立てされたこの状況に、積極的に逆らう理由も、またこの女を傷つけたい気持ちもなく、カカシは自分のことを「好きだ」という目の前の女を少し知ろうという気持ちになっていた。

こちらがあまり話さなくても、嬉しそうに弾む女の声。同じ忍びだというのに、性が違うと筋肉の質がやはり違うのかと首を傾げたくなるようなやわらかい腕の感触。

歩いて、甘味処でお茶を飲んで、話を聞いて。

そうこうしていると、例の後輩の気配を感じた。

キラキラ花のような明るさを放つ彼女とは、対照的な瞳の暗さ、そして体格だった。

さすがに連れがいるからかいつもの嫌味はなく、すれ違う時に凄みのある目つきで軽く目礼された。

何で、ここまで憎まれるのかね。

カカシは、辟易を通り越して、笑いたくなった。

しかし、『嫌いな人間』が『どうでもいい人間』とは違うというのが不思議な人間心理で、次に任務で会った時に、その後輩はしっかりとカカシに確認をとってきた。

「……この前のあの子、彼女ですか」

彼にとって、それはどういうつもりで聞きたい事項なのだろうか。「そうだ」と答えれば、水遁に腕をもがれれば霧隠れの里まで憎しの精神で、まさか危害を加えるつもりじゃあるまいな。それともまさか、彼女に男として気があるとか。そういう可能性も捨てきれない。

「ま、そういうんじゃないんだけどね」

曖昧に答えると、この男にしてはしつこく追求してきた。

「つまり、今は彼女じゃなくても、これから進展の可能性はあると」

「うーん。どうかね」

やっぱり、彼女に気があるのか。

お前が嫌だっていうなら、やめてあげてもいいのよ。

とは、その女に好かれている男が言うには、少々人の悪い、余計恨みを買いそうな一言か。

とりあえず否定しておこうとカカシが口を開こうとした時、

「つきあわないでください」

「は?」

「彼女と、つきあわないでください」

「……」

随分と直接的に素直に吐かれた言葉に内心で驚く。

だが、意外な台詞はここで終わらなかった。

「彼女とだけじゃなく……誰ともつきあわないでください」

真剣な目をして、テンゾウは言った。

間抜けな顔をしている自覚はある。

図らずもしばらく見つめあった後に。

真剣だが無表情だったテンゾウが、急に不安定な目の動きをして、眉間にしわを寄せ、横を向いて視線をそらした。




【終】