信頼関係




「カカシさん。いい匂いします…」

いくら無礼講だからといって、周りの空気も読まずに横に陣取り続けた挙句にそれはない。

暗部同士の交流も兼ねた飲み会。

問題の後輩とカカシ先輩を挟んで反対側にいた僕は、眉間の皺がいっそう深くなったのを自覚していた。

先輩の外見が女になってからは、むしろ近寄りがたさに磨きがかかったはずなのに、酒の威力というのはすごい。

桜色にほんのりと色づいた先輩の色香に惑わされた後輩の手がその体に触れるか触れないかのうちに、ほわほわとしていた先輩の気配が急に凛となった。

正規の忍服姿で無造作に足を投げ出して男らしくくつろいでいたくせに、先輩はさっと身をひいてその手から逃れた。

「気安く触らないでくれる? 女としての俺は観賞用なの。見る時も、あまり不躾に見ないで頂戴」

そして立ち上がり、どこの女王様かと唖然としている僕に、顎をしゃくって合図を送ってきた。

「厠。護衛しなテンゾウ」

「……はい」

人によっては、これはかなり燃え上がるような夢のシチュエーションなのではないだろうか。

ツンの女王様に付き従う僕は、傍から見ればまさに下僕だ。

それでも夜は逆転して下克上でSっぽく虐めていいっていうのなら、ちょっと考える余地もあるところだけど。さすがにカカシ先輩相手にそれはないだろ。

「女の体になってから、妙〜に厠が近いんだよねえ。あっ、音は聞くなよ耳ふさいでろテンゾウ」

……ツッコミどころ満載なセリフだ。先輩の羞恥の基準がよくわからない。

周りの人間は単純に女の先輩の美貌にうはうは鼻の下を伸ばしているけど、僕には以前よりもよっぽど先輩が『男』なんだと思えてしょうがない。むしろ男の姿をしていたときのほうが、ふとした時の仕草に色気を感じた。今は全く、……何というか、がさつな男女だ。

「テンゾウ。危険だから家まで送って」

同僚や後輩達の殺気の混じったやっかみ視線を受けながら、仕方なく僕はカカシ先輩の後に続いた。

『危険』なのは、先輩よりむしろ僕の方かもしれない……。何だかありえない誤解と恨みを受けている気がする。

暗くなっている僕とは対照的に、ほろ酔い気分の先輩はご機嫌だった。

この人はいつも愛想がいいというわけではないが、基本的にはおおらかに生きている。どんな環境でもそれなりに楽しめる人だ。羨ましい。

前を歩いていた先輩が、うふふとでもいうような顔で振り返った。

「ねえテンゾウ。女の俺って、もしかしてモテモテ?」

あなたは男の時でも男にモテモテでしたよ。とは、大人の判断で言わなかった。しかも女になってからの方があからさまに女にモテるのも、よく考えると何だか恐い。

「でも俺、わかっちゃった」

「何がですか?」

「今の生活に足りないもの」

「と、言いますと…」

「どうりでさー。何か私生活に潤いがないと思ったんだよね。普通にヤってなかったもん。女の体って溜まらないから気づかなかったよ」

……溜まらないなら別に無理にしなくてもいいじゃないですか。というより、その前にトキメキがあったり、そういう乙女な思考はないんですか。

このセリフも口外に出すことはなかった。

仕草は乱暴でも思考は乙女かと思いきや、先輩は意外に即物的だ。

「ねぇ、テンゾウ。女って自慰するのかな。した方がいいと思う? どれぐらいの頻度でしたらいいのかな」

「……」

僕に一体どんな返答を期待しているんだろう。

勝手にしたらいいでしょう。先輩だって男なんだから、普通にすればいいじゃないですか。

何だか問題がありそうというか、睨まれそうで、これも口には出せない。

黙っていてばかりだ。僕って馬鹿かと思われているかもしれない。

しかしそれも多分杞憂だった。先輩の暴走は止まらなかった。

「ねぇねぇ。女の自慰って、もしかして何か挿れるのかな……。や、やだ恐い。テンゾウ手伝ってよ。一人じゃ無理」

「え! 僕がなんで!」

「ほ、ほら。テンゾなら俺、平気だから。信用してるし」

「僕が平気じゃありません。そもそも女の先輩は観賞用だったんじゃなかったんですか。手を触れちゃダメって自分で言ってたじゃないですか」

「う。そうなんだけど……」

「……」

「……」

「……先輩?」

どうしたんだろう。妙に不安そうな顔をした先輩の様子がおかしい。

「テンゾウ……」

「はい」

「な、何か変」

「変って、何が……」

見ると、酔いが醒めて体が冷えたのか、先輩の体が微かに震えていた。

息も通常時より少し早い。

「先輩?」

男の先輩より位置が随分と低くなってしまった先輩の顔を覗き込んだら、かあーっと赤くなった先輩がその場にうずくまった。

「先輩!?」

驚いて肩に手を触れたら、ますます先輩が途方にくれた顔をした。

そして両手で自分の太腿の辺りの服を握ると、うう、と低く呻いた。

ぶるぶると震え、今度は真っ青になっている。

「俺」

気分でも悪くなったんですか、と声をかけようとしたら、突然先輩は勢いよく立ち上がった。

「俺、俺、もう帰るから! じゃ!」

「先輩!? 先輩!」

後を追う間もなかった。

一体何があったんだろうと首をひねって帰途についたその翌日。

「あのねテンゾウ。昨日の、お漏らしじゃなかった。愛液だったよー。俺、ちびったかと思って焦っちゃった」

カカシ先輩はえへへと笑ったが、僕は「そんなこといちいち報告しないでください」と言うべきか「少しは恥じらいを持ってください」と言うべきか迷って、結局何も言わなかった。

……いや、言えなかった。




【終】