無自覚




「テンゾウ?」

無理矢理押し付けた唇を離したら、先輩はきょとんとした顔でボクの名前を呼んだ。

死線は何度も共にしたとはいえ、ただの後輩、しかも同性である年下の男に押し倒された先輩の戸惑いは推して知るべし。

でも、何で急にこんなことしてるんだと言われても返答に困る。

強いて言えば、僕の前で面も口布もとって、愛嬌振りまく先輩が悪い。『お前は特別だ』と、言葉にしなくても態度に出してボクに笑いかけてくる先輩が悪い。

しかも任務で組むことが多いから、自身を抑えなければならない機会が結構多くて、これでもかなり自制してきたつもりだ。

健康な成人男子と同じ部屋に、妙齢の美女が無防備に寝ている状況を想像してみて欲しい。

ボクにとってはカカシ先輩がまさしくそれだ。二回に一回自制するだけでも、かなりのものだろ。ボクの場合は、それが数回じゃなくて、数十回……。任務を離れた私的な時間に、衝動的な行動を抑えきれなくなったとしても不思議はない。

先輩の部屋にお邪魔して酒も入って、「泊まってきなよ」と他意なく言ったカカシ先輩の唇をボクは塞いだ。

唇が触れるだけのキスだったけど、しまった、と思った。ついでに腕は強引にこの想い人を押し倒しているし、瞬時に、酔いにかこつけた冗談で済まそうかとも思った。

でも。

「テンゾウ?」

嫌悪感を微塵も感じさせない、心底不思議そうな、そしてどこか甘やかでさえあるその顔を見せられたら、もう……。

ボクは自分の気持ちを誤魔化すことなく、欲求のままに深く先輩にくちづけた。

好きだ。

欲しい。

好きだ。

銀色の髪をまさぐっていた右の指が、先輩の耳朶にたどり着いたから愛しさをこめて優しく撫でた。

「……っん」

途端にぴくんと反応した先輩が、色気のある声を出した。

どうしよう。まずい。

ぼんやりとした先輩の瞳がボクを見上げた。

こんな風に扱ってはいけないはずの先輩の体に触れているという緊張よりも、二人の間に初めて流れる艶な空気に気持ちが痺れた。

何度もくちづけて。目を閉じている先輩を撫でて。

先輩の膝を割って手を差し入れた時、目の前にさらされた無防備な姿に心臓がどきりと痛むほど鳴った。

体が熱くて、震えるほど気持ちがいい。

思わず動作を止めたボクの気配を察してか、流されていた先輩が急に正気に戻った。

「えっ!?」

組み敷かれている状態のまま目を見開き、がっとボクの腕をつかむ。

「どうなってんの!? どうなってんの、これ!」

さっと膝を閉じて体を丸め、ボクの腕は離さないままに下から見上げてきた。

「男同士でしょ。なんで服脱がそうとするの」

少なくとも今の時点では、それは、濡れ衣です……。

ほんの少しまくれ上がっているアンダーを自分で直して、先輩は改めてぎょっとしたような仕草でボクを仰ぎ見た。

「溜まってんの!?」

あまりといえば、あまりの言葉だ。

先ほどまでの興奮はどこへやら。がくりと力が抜けた。

「ごめんなさい。酒が過ぎたみたいです。……帰ります」

「えっえ? テンゾウ?」

追いすがってきた先輩を振り切って、ボクは先輩の部屋から逃げ出した。

馬鹿なことをした。

先輩が呆けているのをいいことに調子に乗りすぎた。

でも、溜まってるから襲ったとしか思われないなんて、もちろん先輩に罪はないけど、哀しくなる……。

「あー。明日からどんな顔して先輩に会おう」

それを思うと、さらにまた気分が滅入る。

走りながら、ボクは重くため息をついた。




* * * * *



物凄い勢いで俺の部屋からテンゾウが逃げ去ってから五日。

任務で毎日のように顔を合わせているテンゾウの態度は、全くもって以前と同じでごく普通で。

あの時の俺は、そしてテンゾウも、酔いのせいで多分どうかしてたんだろうと思う。

あの時。

急に我にかえったのか、後ろも振り返らずに部屋を出て行こうとするテンゾウの背中を何故か引き止めようとして、そして冷たく振り切られた後味の悪さは、何度思い出しても嫌なものだった。

じゃあその前に俺に見せたあの顔はあの行為は何だったんだと詰りたくなる気分になって仕方がない。

あれから、テンゾウが俺にしようとした行為の続きが具体的にはどういうものなのか気になって少し調べた。

男同士は酷い痛みと、下手すると致命的な後遺症を残すこともあると聞いてはいたが、その手の指南書を読み進めるにつれて「うぐう」という変な声が洩れた。

これは衛生的にありえないというか、絵的になんとも美しくない!

だって、尻だなんて!

しかし指南書の最後の部分に必ずといっていいほど書いてある「気持ちがいい」との解説に心が揺れ、その辺りのことを経験者に聞こうと思ったら迂闊なことにまた組み敷かれた。

予想外の出来事に驚いてしまって声も出ない。

「カカシ」と熱い息と指とが触れて、気持ち悪さに思わず相手の急所を蹴ってしまった。

ハァハァと、肌に触れるほど近づいてきた熱く興奮した息が耐えがたかった。そういえばテンゾウも息を乱していたけど、何かが違う。上手く説明はできないけど、同じ熱いでももっと情熱的だった?というか…。

しかしとにかくこちらの都合で話を聞かせてもらっていたのに、蹴りをくらわせたのは申し訳なく、相手が要求するままにそこをさすってやっていたのだけど、途中から何だか痛みを取り除くのとは違う要求をされているらしきことに気がついて俺はまた「ぎゃー!」と大声を上げる羽目になった。

つくづく、俺は任務以外のことになると…抜けてる……らしい…。

短い期間にそんなことがあったなんて、知る由もないテンゾウは今日も難しい顔をして野営の準備をしていた。

「先輩は木の上で少し休んでください。ボクは下で、この辺りの地脈を通じて番をしますから」

いつもに増してそっけない物言いに寂しくなり、俺はしぶしぶ登った木の上で幹にすりすりと顔をつけた。

はぁ、と溜息が洩れる。すん、と鼻も鳴る。

折角いろいろと情報を仕入れてきたのに、そのせいで危険な目にも遭ったりしたというのに、俺をこんな気持ちにさせている張本人は「そんなことは一切ありませんでした」といわんばかりの態度ですごく冷たくて。

ぎゅっと幹にしがみついていたら、下からテンゾウが話しかけてきた。

「眠れませんか」

「うん」

「目を閉じているだけでも違いますから、体を休めてください」

「うん」

「……先輩」

「うん?」

「何で、……。……」

耳を澄ませても、続きの声は聞こえてこなかった。

暫らく待って、それでもテンゾウの深い呼吸の音しか聞こえてこなかったから、不安になって俺はテンゾウの名前を呼んだ。

「テンゾウ」

「……」

「起きてるのテンゾウ……」

「好奇心とか、誰でもいいのなら、ボクにしてくださいよ」

静かな声の奥底に、何故か深いテンゾウの怒りを感じて、俺は「え?」と身を硬くした。

それに、知ってるのテンゾウ。俺が他の男にヤられそうになったこと、どうして……。

羞恥心を感じて黙り込んだ俺をどう思ったのか、テンゾウは小さく溜め息をついた。

そっと上から覗くと、木の根元に腰をかけて片足を投げ出し、地面を見つめているテンゾウの姿が見えた。

「それにあの時、ボクは別に溜まってたわけじゃありませんから」

「……」

「それだけは、誤解しないでください」

「……」

「ね?」

優しく念を押されて、随分と時間が経ってから、俺はやっと「うん」と答える事ができた。

「うん。わかった。テンゾウ」

「先輩……」

「わかったよ、テンゾウ」

うん。わかった。テンゾウにする。

誰でもいいのなら、というテンゾウの言葉には少し引っかかりを覚えたものの、幸せな気分で返事をした俺の下で、テンゾウの気配がふっと優しくなった。

その後は任務中だというのに、目を合わせては妙に気恥ずかしい雰囲気になってしまって参ったのだけど。

あの時、遠回しに「してもいいよ」と言ったつもりだったのに、テンゾウは未だに非常に紳士的だ……。

俺は顔で微笑みながら、最近はちょっと焦れてきている。

……いつ、手を出してくるつもりなんだろうか。

溜まらないの? 溜まってないの?

一度聞いてみたら、「溜まってるからしたいとか、そういうんじゃないんです」と不機嫌そうに一蹴された。

テンゾウは繊細過ぎて、考えていることが俺にはよくわかんない。

俺は今日も、いつくるのかなぁ、こないのかなぁと思いながらテンゾウをじっと見つめた。




【終】