諸刃の双刀




多勢に無勢。

一瞬でも生き残るための気力を失えば、即座に闇の向こう側に連れ去られてしまうような状況。

残り少ないチャクラ量を気にしながら印を組み、テンゾウは瞳を細めた。

まだだ。

まだ……。

この抜け切れない、緊迫したこの世との境界を思わせる闇の深さは、テンゾウにあの時の情景を思い出させる。

絶望的な状況。身体に纏わりつき、立ち上る、濃厚な死の匂い。

ぎり、と迫り来る敵を見据え、己の身から迸る木の濁流で命を屠り、背後からの気配に構えた時、目の前に銀髪が飛び込んできた。

「……!」

息を呑むテンゾウのまさに眼前で、ツーマンセルを組んでいる先輩の肩口から腹にかけて太刀傷が走った。

庇われたテンゾウの方から、カカシの表情は見えない。だが確かにその唇から苦痛の息が漏れたのを聞いた時、別方向からの二撃目がその細い体に埋まった。

「カカシ先輩!」

カカシは倒れることなく手でテンゾウを制し、「二時の方向へ走れ。すぐに俺も後を追う」と低い声を出した。

月明かりでできたほのかな影に、カカシの血が滴り落ちて溜まっていく。

「な、何を言って…このままじゃ、先輩…死……」

「行け」

テンゾウを逃がすため自ら捨て駒になろうとしているカカシの、その気迫に動けないでいた無駄な瞬間のために。さらにカカシの身体には傷が増え、地面の血溜まりは大きくなった。

カカシの身体はこれ以上は持たない。

――写輪眼の処理。

至極残酷で現実的な問題がテンゾウの頭を過ぎった時にはカカシは起爆札を取り出しており、そしてほぼ同時に事は終わっていた。

爆音とともに、視界が、全てを無に返す白に包まれた。




* * * * *



「……どうして」

「ん?」

「どうして、ここにいるんですか……」

汗と血を洗い流すのにちょうどいいような水場。おあつらえむきのこの場所で岩場に腰を下ろして自分に「よ!」と手を上げた先輩の姿に、テンゾウは呆然と呟いた。

「二時の方向に走れって、俺ちゃんと指示したじゃない」

濡れた髪が月の光に反射してキラリと光った。

暗部服は脱がないままに、素足だけを川につけてばしゃばしゃと水音を立てているカカシは、くすくすと笑っている。汗や泥で汚れてはいるが、怪我をしている様子はない。

「……影分身、ですか」

見抜けなかった自分にも非があるが、それと振舞ったカカシも人が悪い。そもそも影分身の癖にあれだけ自然に物理的攻撃を何度も受けていれば、何より眼前であの光景を見せつけられれば、それは判断の目も曇る。常に仲間を大事にして怪我をすることのあるカカシを思えば、尚更のこと。

静かに怒りの焔が宿ったテンゾウの視線を受けて、カカシはバツの悪そうな顔をした。

「ごめーんね。でもあの時は、ああするより他に逃げ切れる方法もなかったし……」

いいんです。それより、カカシ先輩が無事でよかった。

そう言うべき唇は、固く引き結ばれたまま何事も発しなかった。

今更震え始めた指を握り締め、鍵爪を捨て河辺にしゃがみ込んだら、背後から不満そうな声が聞こえた。

「なんだか、俺が生きてるのが不満みたい。テンゾウ」

「そんなわけないでしょう!」

「び、びっくりした。急に大声出さないでよ」

振り返ると、座っていた岩から転げ落ちそうになって、カカシが心臓を押さえていた。

華奢で、少年期特有の骨ばった身体と、綺麗な銀髪。

テンゾウはつかつかと近寄り、影分身が敵忍から散々に攻撃を受けていた箇所に目を向けた。

「見せてください。怪我はないですか」

「俺は大丈夫。それより、お前の方こそ、怪我……」

互いに互いの暗部服の裾を捲くろうと握り合った直後、至極近い位置にテンゾウがいることに先に気がついたカカシが口ごもった。

つい、と目を逸らされ、ようやくテンゾウも気づく。

気づいたこととその衝動が結びついたのは、それは不幸な偶然としか言えない。

先程から腹の底に溜まって澱んでいる苛立ちが、出口を求めて動揺しているカカシの華奢な肩を乱暴に掴んだ。

「わ! な、何?」

事も無げに己の死の残像を見せつけた男の出す慌てた声が、テンゾウの暗い悦びをじわりと誘った。

テンゾウは口元だけで笑い、腕を伸ばして岩と自分の身体の間にカカシを囲いこんだ。驚いて見上げてくるカカシの視線がこの上なく気持ちいい。

庇われて死なれたと容赦なく打ちのめされた感情の分、その原因となった男が焦る様は、荒れた心を宥めるのに一役買った。

だから、その気もないのにテンゾウは自らの腰をその細い身体に押し付けた。

「え、と、何? まさか、任務後で興奮してるとか、言う…?」

密着した瞬間、確かにぎくりと身体を強張らせたくせに、余裕の笑みでカカシはそう返してきた。

「……」

任務後で血を見て興奮した?

安い言葉だ。だが、もしかして本当にそうなのだろうか、と己の感情をテンゾウはいぶかしんだ。

任務の前後に関わらず、そんな光景はそれなりに見てきた。

やり方は、よく知っている。男がただ己の欲望のまま腰を振る醜悪な動作とその結果も、男が相手の時も女が相手の時も、仲間だけでなく他の手を着けてはいけない人間が相手の時も、すべて。

この狭い腕の中の支配下におとなしく収まっているカカシの頬に指先から触れて、何の反応も返さないくせにいちいち触れられた先からやわらかくなっていく肌の緊張感と従順さを確かめて。

綺麗に伏せられていた瞳が、真っ直ぐに見つめて来た時に、今まで感じたことのない強い衝動がテンゾウを襲った。

見たいのは、そういう、今まで見てきたそれとは少し違うような気がしたのに。

何故。

すっかりテンゾウの腕の中にいることになじんでしまったカカシが、初めて自分から誘うような仕草で顔を傾けてきた。

だが、触れるか触れないかの位置まで唇が近づいたとき、テンゾウは視線を外し顔を背けた。

「……え?」

戸惑う声を無視して、普段は外気にさらされていない、他人の手が絶対に触れない場所を選んで、噛み跡を残しては、反応を暴いた。

カカシはしばらく呆然としていたが、テンゾウの指が暗部服を剥いでいく度に、息を呑みこんで身を固くした。

抵抗されないのは、好都合だった。縫合どころか止血や消毒さえしていない傷口から、体温を奪いながら血が滴り落ちる。

その時、動かなかったカカシの身体がびくりと跳ねた。

「駄目! お前、怪我してる」

「……」

「ちょっと、テンゾウ?」

「……逆らわないでください」

銀の髪をカカシの頭ごと唇に引き寄せて言うと、カカシは沈黙した。

少しだけ湿っているその髪の感触を確かめ、薄く笑って、そして指に絡める。

脳裏に焼きついた、あの時の光景。既にあの時の記憶も何もかもが曖昧なのに、抱き上げられてつかんだ銀髪の手触りは覚えている。

後ろでひとつにくくられていた長い髪。自分の前では永遠に外と繋がることはないと思っていた、あの重い扉を開いた逞しい腕。

実際にはこの、今この腕の中で息を乱している人の体型と、そう変わらなかったかもしれないけれど。

「…ぅ、…っ。……う……」

テンゾウが自分が押し入る場所を準備するために、執拗に広げて探る間にも、カカシは苦痛から漏れるかすかな吐息以外は、極力声を出さないようにしているようだった。

「……嫌なら、逃げてよ先輩」

カカシは何も言わずに目を閉じた。

どうして。

どうしてカカシがされるがままになっているのかわからない。何故こんなことになっているのか。下卑た欲望の対象にカカシの身体を使っているのが他ならない自分だということが、現実味がなく、まるで他人事のように理解ができなかった。

「先輩……。逃げなくていいの?」

「……」

「先輩」

貫いてからは、テンゾウはカカシの悲鳴を無視して自分の都合だけで乱暴に貪った。

なのにカカシは、突然聞いたこともないような恐ろしい声で喘ぎだした。

「ああ、あ。ああ!」

耳を塞ぎたかった。

犯されているのはどっちだと心の底から震えが走った。

聞く者を荒々しく魅惑する声に抵抗しようと唇を噛みしめたら、さらにカカシの身体は淫らな収縮を始め、テンゾウの全てを呑みこんで来た。

「あ、や…だ…! テンゾウ…テンゾウ!」

名前を呼ばれて、絡みつかれて、後はもう滅茶苦茶だった。

心地いい声と感触と。全てがテンゾウの思い通りに動いた身体の、愛しさに負ける前に手を離したら、カカシは力なく地面に崩れ落ちた。

視線が、白い肌を穢した己の体液にひきつけられて離れなかった。

「……先輩」

息を整え、あまりにも冷たく情もなく離した腕をもう一度テンゾウは伸ばした。

十分に届く距離だった。だから届いても近寄れないだなんて、思いもしなかった。

テンゾウがカカシの腕を再びつかんだ時、銀髪の下に隠れている瞳がさらに俯いて見えなくなった。その事に物足りなさを感じ、テンゾウが銀の前髪をかき分けようとした瞬間、カカシが硬い声を出した。

「……平気。こういうの、俺…初めてじゃないから」

「先ぱ……」

「平気」

それまでの頼りない態度を恥じるかのような毅然とした声と、その内容は、テンゾウを酷く打ちのめした。

緩慢とした動作でテンゾウの手を振り払い、自分で後始末をしに水に入っていったカカシをただ見つめ、テンゾウは立ち尽くしていた。

理由なんか、どこにも、何も見つけ出せなかった。




【終】