日陰しか知らない




「愛人って、どういうことか、先輩本当にわかってるんですか」

強引にくちづけを奪ってからずっと、僕は僕自身の暴走が恐ろしくて、先輩の傍には近寄れなかった。

任務で先輩に殺到する敵忍をなぎ払いながら、いっそのことまだ何事も起こっていない、僕が先輩を傷つけないうちに、僕の体が先輩の命の足しになったらいいのにと。

忍びとしての生存本能さえ半ば捨てて、そんな剣呑なことまで考えていた。

距離を置いていたうちは暴れ出す欲望も水面下に隠れていたのに。

均衡を破ったのは先輩の方だった。

焦れたようなきつい光を湛えた瞳で、僕を見据えて、低い声でなじった。

「少なくとも俺たちは、『愛人』だったんじゃなかったっけ」

どうしてお前……、と言いかけていたところで、僕は戸外なのに先輩を組み敷いていた。

「愛人って、どういうことか、先輩本当にわかってるんですか」

「なに?」

無理矢理のくちづけも、初めて奪うその体も。

こんなにも。

この人はこんなに簡単に僕に流されてしまうのか。

抵抗らしい抵抗はほとんどされないままに、奪っているはずの僕が深く先輩の中に沈みこんでしまう。

『同じ木ノ葉の里の仲間だから』

記憶の中の声が、現在の声にかき消される。

「あぁ。テンゾウ……」

辛そうでせつない。

先輩の声が。

初めて聞くかすれた低い呼吸音と、甘いこすれた高音の吐息が。

これ以上ないほどの高揚感と興奮の中で、僕の中心にねじ込まれていく。

「先輩…っ」

誰にでもこんなに素直なんだろうか。

誰でもよかったんだろうか先輩は。

高潔にそして硬質な雰囲気で何者も寄せ付けなかった先輩に一歩踏み込んでみたら、こちらが戸惑うほどに、あり得ないほどに頼りなさ過ぎて。

何故だか、まるで関係もないのに、昔三代目に個人的にご馳走になった、甲殻類の蒸し物を思い出した。堅い殻の中に入っていた身は美味だったのに、食後にソレが水槽の中で生きて動いているのを見て、僕は広くて明るい厠に駆け込んで吐いた。生きている時の、あの殻の中の身がぶよぶよと柔らかい様を想像して。

そして今は、僕以外の凶暴な人間が、先輩の中身を突き進むのを想像して。

「……テンゾ…っ…!」

気がついたら、もう何年も暴走させたことなんかなかったというのに、僕達は荒れ狂う大樹の中にいた。

先輩を中心として、放射線状に太くて捻じ曲がった枝枝が伸び広がっている。

土の中の、障害物をすべて排除して、伸びたいだけ伸びて広がっていく。

僕は中身も外側と同じような、硬い年輪を持つ木の感触の方が、好きだ。

柔らかいものは、僕以外の存在の前でも、潰される可能性があるから。

「……き。…っ、テンゾ……き……だ」

先輩が何かを訴えようとしているのに、その声は僕の耳に、よく聞こえなかった。

事が終わった後に先輩を抱きしめようとして、自分の手が震えていることに気づいた僕は、背中を向けて自分の気持ちを隠そうとした。

すべてが。目に見えないものだけでなく、すべてが酷かった。

平たんだった地形は僕によって荒らされ、形を崩され、地の底に内包していたものさえ凶暴な枝に引きずり出されてさらされていた。

すべてが荒廃した、その中で、手の震えは体にまで伝播しそうで、僕は先輩を振り返る勇気もなく立ち尽くした。

ここまで好き勝手にしておいて、赦してほしいなんて、どの口で言えるだろうか。

先輩の起き上がる気配が、今はただ恐かった。

お互いの出方を探り合う時間が流れ、ずいぶん長い沈黙の後に、先輩が怒りを抑えたような声で言った。

「……お前、俺のこと嫌いだろう」

嫌いな相手を組み敷くなんて正気の沙汰じゃないようなことも、歪んだ羨望や男の嫉妬によって、実際に行われていることを、僕もカカシ先輩もよく知っている。

「……好きですよ」

「嘘だ」

「嘘じゃないです」

体を重ねたことでさらに遠ざかった先輩に縋りたくなる気持ちを振り払って、僕は天を仰いだ。

渇望するものを正攻法で手に入れられない時、人は本性が現れる。

飢えた心は、腐った反応でも喜んで嘗め回す。

醜悪だ。




【終】