骨の折れる任務から帰里し報告に赴いた火影室で、労いの言葉と共に数日の休暇を頂戴した。
慢性人手不足の暗部に所属し、かつ『写輪眼のカカシ』として派手に名が売れ始めている俺の事情から、そんなことは最近では非常に珍しいことだ。
突如の予定のない身が妙に落ち着かない気分のまま、とりあえずの空腹を満たすために街に出ると、道端の野花が揺れていて、ふいに後輩のテンゾウが桜の咲くのを楽しみにしていたのを思い出した。
木遁遣いだから大樹の変化にはやはり敏感なのだろうか。
埒もなくそう考えていたら、当の本人が歩いているのを発見した。
「テンゾウ!」
いつもならこちらが呼びかける前に嬉しそうに駆け寄ってくるのに、今日は振り返らないままで返事もない。
しかも暗部装束でも私服でもなく、正規服を身に着けている。
人違いか。
だがそんなはずはない。
「おい」
訝しく思いながら追いついて肩をつかむと、テンゾウは驚いて目を丸くした。
その様子にまた違和感を覚えて首を傾げてもまだテンゾウは黙っている。
「? 久しぶりに会った先輩に挨拶ぐらいしなさいよ」
「はぁ…」
困り顔のテンゾウは、らしくもなく小さな声で「ご無沙汰…してます…」とつぶやき、その後非常に気まずそうにこう付け加えた。
「申し訳ないのですが、どなたでしょうか……」
と。
* * * * *
「嘘でしょ」
昏睡状態から目覚めたら記憶の大部分が抜けていた。
そう説明したテンゾウに俺は思わず呆然とした。
「火影様は何て? 医療忍者は? 検査はちゃんと受けたの?」
「検査の詳細がわかるまではと休暇を言い渡されました」
「そう」
ずっと病院に縛り付けられていて、つい先ほどやっと解放されたのだと微笑むテンゾウに、胸が痛む。
「大丈夫ですよ。それこそ、明日には直ってるかもしれません」
本人は事も無げに明るく言うが、その様子に俺は何やら酷く気が滅入った。
「なんで」
「はい」
「なんで、俺を忘れちゃうわけ……?」
「……すみません」
頭上からすまなそうなテンゾウの声が聞こえてきて、俺は失意からいつもの猫背の上に自分が俯いてしまったことを知った。
ああ。これはきっとテンゾウを困らせてるなぁ。とんだ先輩にとっ捕まったと思ってるかもしれない、なんて自虐的なことを思う。
「ところで身の回りのこととか、いろいろ大丈夫なの」
「っ、はい!」
気を取り直して顔を上げた瞬間に、こちらをまじまじと見つめていたらしきテンゾウがさっと姿勢を正した。
「あっ、と…その、入院中もずっと世話をしてくれた人がいたので」
歯切れの悪い言い方の、その内容に引っかかる。
「……誰?」
「誰、と言われましても」
何が恐いのか、俺の反応を見ながら、恐る恐るテンゾウが白状した。
「僕の、恋人…らしい、んですが……」
「嘘でしょ……」
俺はまた呆然とする羽目になった。
頭の中で、誰だよそれ、とテンゾウの親しい人間をリストアップしていく。
そうしながら、俺は自分が酷くショックを受けていることに驚いた。
どうやら俺は、尊敬や親しみ以上の好意をこの後輩から受けていると自惚れていたらしい。
それに。
「その人のことは憶えてたの」
「い、いえ」
「じゃあ」
証拠はあるの。テンゾウの恋人だって。記憶がないんでしょ。だって、そんなの。
「お前、だまされてるかも、しれないじゃないの……」
なんて往生際が悪いんだと。
普段の俺だったらありえない。多分テンゾウが、記憶がないなんて不確かな顔をして笑っているから、こんな感情に素直な言葉が出てしまうのかもしれないけれど。
数々の俺の暴言に気を悪くしてしまったのか、テンゾウは真顔になって眉間に深刻な皺をつくった。
瞳の奥に、何故か傷ついたような思いつめた感情がちらついて見える。
耳に優しい低い声が、ゆっくりと俺を追い詰めた。
「では逆にお聞きしますが、あなたこそ、僕の何なんですか」
* * * * *
エイプリルフールだったんです。
と、テンゾウは言った。
謝っているなんて到底思えない恫喝するような声で「ちょっとふざけただけで、最初からこんな風に騙すつもりはなかったんです」と、殴りつけた俺を無理矢理抱きしめて、さらになじった。
「先輩だって、僕の気持ちを知っていて、いつも酷いことを言うじゃないですか」
と。
俺がいつ、と抗うと、百ほど反論が返ってきた。
知らない。
そんなつもりじゃない。
お前が勝手に誤解したんだ。
それに、俺は誰とも私生活で深く関わるつもりはない。
「普段から嘘つきな先輩になんて、僕は絶対謝りませんから」
拘束の手をゆるめることなく剣呑な目で随分な主張をする後輩と至近距離で目が合って、俺は体が痺れるような怯えを感じた。
「離せ」
「やです」
「テンゾウ!」
とんだ自称記憶喪失者だ。
今日の日が終わるまでは先輩に絶対譲りませんと、わけのわからない理屈をこねて俺を離そうとしない。
往来で人の目も気にすることのないテンゾウを、俺はまた力いっぱい殴りつけた。
【終】