目を開けた時、周囲の暗さからまたもや自分が気絶していたことを知り、カカシは呻いた。
あれから二日に一回か、多い時には日に二度、三度。
身体がボロボロになるまでイルカに犯され続けている。
『こうされることを、あなたが望んでいるからしているんです』
耳元で何度もそう囁かれたのを憶えているが、カカシにそう言わせているのは他ならないイルカだ。
身体を縦に何度も引き裂かれるような感覚の中、泣いて許しを請うのも、屈服するのも、イルカに迎合するのも絶対に嫌だった。
だから、せいぜい表情の上ではせせら笑って、がくがくと震える己の身体を騙すしかない。
まだ、足りない。
もっと。
俺の身体の奥深く。もっと奥まで。もっと、来て!
一度覚醒したのにまた目蓋を少しずつ閉じていたら、頭の上に暖かい掌が落ちてきた。
「中毒性があるんですよ。ああいうやり方の関係は」
顔は見えないが、その声はひどく優しげに響いた。
そう。あれ以来、脅されているわけでもないのに、カカシは自分からイルカの家に足を踏み入れている。
酷い扱いをされているのはわかっているのに、自分でも自分がよくわからない。
外で偶然イルカの姿を見ると、さらにその衝動は抑えがたくなる。
同僚と呑んで騒いでいる彼の前に自ら姿を現し、視線を合わせないながらもイルカに命令する。カカシがその場から出て、怪しまれない程度の時間を置いてから、そこを抜けて、俺を抱け、と。
カカシが無言でそう命令するのと同じで、イルカも無言でそれに従う。
誘ったのはカカシ。あくまで形の上ではだが。
節々が痛む身体を気力で起こして、カカシは額に手を当てた。
「喉痛いでしょう。白湯です」
唇に硬い感触の湯飲みを押しつけてきて、イルカが言った。
やはり、口移しでは絶対に飲ませない。
「もういらない」
イルカがまだ湯飲みを傾けているのに顔を逸らすと、ぽたぽたとシーツの上に中身がこぼれた。
「ほんと、我侭ですよね。うちのお姫様は。・・・それでもって、幼児並みに手がかかる」
目を伏せ微かに吐息だけで笑って、イルカはそっとお湯がこぼれた箇所に手を置いた。
しばらく少し湿った己の指先を見つめていたが、すっと視線をカカシの方に戻す。
もし、ここでまた。イルカが「俺に抱かれたいですか、姫」とでも戯言を言ったら、カカシはその言葉を拒めない。
イルカはカカシにキスはしない。
そして絶対に名前も呼ばない。
ただし、カカシが要求すれば、表面上全てのことに必ず従う。
そして時々そんなカカシを揶揄して呼ぶ。
姫、と。
「黙ったまま、何考えてるんですか」
唇を寄せると、イルカは微笑んでさり気なくかわし、カカシの耳朶をやんわりと噛んだ。
カカシの腰を抱き寄せた腕とは反対側の指が、そっとカカシの首筋にかかる。
耳の後ろから降りてきた指は、鎖骨を通り抜けて、腕の内側に入り込んで動きを止めた。
「・・・・・・ふ・・・っ」
動きを止めたかと思った指に、強く二の腕をつかまれて思わずカカシは声を洩らした。
つかまれた箇所から最初は強く、次にはじわじわと甘い痺れが伝わってくる。
黒い瞳が、微かに身体を震わせているカカシをじっと見ていた。
ここでカカシは『抱いて』と言わなければいけない。
『カカシがイルカを思い通りにしている』という法則を崩さないためには、そう言わざるを得ない。
腰を抱き寄せているイルカの手が、言葉を促すように少しだけ背中の方に移動する。
―――言え。
言葉ではない明確な声が聞こえた。
ゆっくりと本当にゆっくりと背筋を這い上がってくる指が、瞳がカカシに言っていた。
―――俺が欲しいと、早く言え。
「・・・・・・ねぇ、どうしてそんなに上手いの」
ぽつりとつぶやいたカカシの問いに、イルカの手は完全に止まった。
連日執拗に抱かれ続けている身体は、確かに限界だった。
だがそれ以上に今訊きたいのは、前々から気になっていたこと。
この男は、色事専門の忍びだったのかと疑いたくなるほどに、セックスが上手い。
イルカの手が、カカシの懐から抜かれた。
「今、自分が何を俺に訊いたかわかってますか?」
その手がいつの間にか上がってきて、カカシの唇をなぞっている。
カカシは頷いた。
「わかってる」
鍵を解いた。イルカの側の。
だが、くちづけはまだ降ってこない。
イルカの手が、愛しげにカカシの頬を包み込むように撫でた。
沈黙はそう長くはなかった。
「中忍になりたての頃。俺、里に潜入していた他国の忍びに骨抜きにされて、自分の任務の情報を漏らしたんです」
カカシの頬を撫でながら、静かな声でイルカは言った。
「あまり、キスが好きな女じゃなかったですよ。里に発覚後は女と関係のあった上忍ふたりと中忍の俺が拘束されて、結構荒っぽいやり方で、すべて吐かされました。一度の性交で何度射精したのかとか、どんな体位でイかされたのかとか、そんなことまでそれはもうこと細かくね。・・・・・・まぁ、そういうわけです。その後は里からあてがわれた女とね。お望みなら薬でも道具でも一通り扱えますよ、俺は。だから」
「・・・・・・」
「あなたを抱くのに、最初は躊躇いがあったんです。好きでしたから、アンタが」
「・・・・・・死んでもいいぐらい?」
「はい。嘘の関係じゃなければ、今度こそ命を賭けてもいいぐらい」
綺麗に微笑みかけられて、カカシは沈黙した。
最初はただつっこまれればいいと思っていた関係だったのに、過剰すぎるほどに身体を与えられた。言動のひとつひとつに意味があると思わされ、カカシはまんまとイルカの張った罠にかかって鍵を解かされた。
踏み込めば、それだけ相手にもこちらに上がりこむだけの口実を与えることになる。
「あなたこそ」
イルカが微笑む。
「俺と同じ時期に、何をしていましたか」
やはり、己の肉を切らせておいて、こちらの骨に踏み込んできた。
何をしていたか。
暗部出身の忍びに、それは愚問だ。
人を殺していたのに決まっている。
毎日殺した。己の力量が足りない時には、引くことも覚えた。生き残るために。
気持ちよくしてもらうことに異存などなかったから、明日死ぬかもしれない男に身を任せた。
あまりにも自分の周囲にありふれていた死と、血と、卑劣さと・・・汚い欲望を冷めた頭で眺めていた。
本で読んだような愛や恋や綺麗なものは、この世に存在しないからこそ物語なのだと思った。そんなものが現実にあったとしたら、それこそむしろ恐怖だった。
好きだ。愛しているから他の男とは寝ないでくれ、と言った者もいた。
つっこみその内部を征服することによって、妙な優位感や、雄特有のタダでヤれた相手を一種蔑むような態度でカカシに接した者もいた。
なのにこれもまた雄の性なのか。命の危険にさらされる局面であればあるほど、彼らは守られるほど弱くないはずのカカシを庇った。
「黙ってますね。これからも姫のままがいいですか?」
「やめて。自分こそ他里の女にいいように翻弄されておいて、俺にだけ酷いことするのはやめて」
姫、と呼ぶようになってからは、翻弄するだけで何一つカカシの好きなようには振舞わせなかったイルカの、首筋に顔をうずめてカカシは今までの筋書きでは言えなかった言葉を吐いた。
死んでもらえばいい、とカカシは思った。
どうせ他里の忍びに利用されて、死にかけた男だ。カカシの盾になった方が、よっぽど里にとっては有意義な死に様だ。
死ねばいい。自分を好きなら、自分のために死んでしまえ。
「もう俺の思考力を奪うような、操作するような言動はやめて。俺以外の人間を自分の女みたいに話すのはやめて。ちゃんと、俺を見てよ。名前を呼んで。もう姫は嫌だ」
言わされたセリフではなく自分の言葉でそう訴えると、イルカは暖かい両手で抱きしめてくれた。
「はい。カカシさん」
つきあいはじめた頃の、あの眠気を誘う優しい抱擁。
カカシは腕を伸ばしてイルカの首に縋りついた。
「死んで。俺が死ぬ時は、一緒に死んで」
「はい。いいですよ。カカシさん。あなたが今みたいに素直にしていればね」
言うとイルカはカカシを抱きしめたまま髪を何度も撫でて、こめかみの方から唇を落として、そして強引に割り込んで唇を重ねた。
目を閉じてその長いくちづけを受けていると、イルカの吐息が熱くて、頭を包み込むように支えてくれる掌が気持ちよくて、カカシは声を洩らした。
閉じた目の中が熱くなる。
息継ぎのために唇を離すと、すぐにまた塞がれて息を奪われた。
カカシは震える指でイルカの髪を絡めて引っ張った。
やっと唇がほんの少し離れる。薄目を開けると、イルカの真っ直ぐな瞳と目が合った。イルカが笑う。
「何だか。やっと俺の顔が見えてきたんですね、カカシさん。正直言って最初は誰でもよかったでしょう。つっこんでくれれば誰の一物でも関係ないし、いっそ堅けりゃ張形でもいい。そんな態度だったので俺、傷つきました」
「・・・・・・俺はその後イルカ先生にめちゃくちゃにされて、尻の穴が傷つきましたが」
ぼそり、とつぶやくとイルカの笑顔が引きつった。
「もしかして。やっぱり痛いの我慢してましたか」
「我慢というほどではないですけど、さすがにもう限界です」
淡々と訴えると、イルカは何ともいえない表情をして、ぎゅっとカカシを抱きしめた。
「すいません。しばらくは手を出しませんから」
余程悪いと思っているのか、イルカはカカシを抱きしめたまま子供をなだめるようにずっと頭を撫でている。カカシはその腕の中でふっと笑った。
「つまり、プラトニックな関係を楽しむんですね」
「そうですね。プラトニックな関係で、ドキドキ感をね」
死で縛りあったはずの関係なのに、カカシの心は穏やかだった。
つきあって二週間ほど、それこそ淫乱を極める生活を送っていた二人は、顔を見合わせて、照れたように小さく笑った。
【終】